研究報告 1-3

山田 嘉則 (やまだ よしのり)
クリニックちえのわ

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#報告題目

ポスト精神医学と精神障害の社会モデル

#報告キーワード

精神障害 / 社会モデル / トラウマ・インフォームド・ケア

#報告要旨

昨今の国内の動きを見ると精神医療システムはいよいよ強固であるかに映る。精神科の「司令塔機能」を謳う新オレンジプラン、精神保健福祉法改正で目論まれる精神医療の治安機能の強化、そして強制医療と薬物療法への変わらぬ依存。
一方、国際的には潮流の変化が見られ、精神医療システムは揺らいでいる。
国連人権理事会特別報告者は生物学的精神医学を批判し「権利に基づいた」精神保健サービスを要請している(Pūras2017)。また、従来の薬物療法の有効性を否定する報告が相次いでおり、薬物を用いない入院治療や身体拘束の廃止が公的プロジェクトとして取り組まれている。さらに、トラウマ・インフォームド・ケア(トラウマ理解に基づくケア、TIC)やオープンダイアローグ(OD)など、従来の精神医療に対するオルターナティブな実践も見られる。
生物学的精神医学は依然強力である。様々な利害関係、それが担う社会的機能が精神医学を支えている。だが、その抵抗に出会ったり、あるいはODのように取り込まれたりしながらも、ポスト精神医学に向かう動きは止まらないだろう。
現在はポスト精神医学への過渡期と見ることができる。過渡期を生きる医療者としてわれわれの実践はいかにあるべきか。本報告はその理論的基盤を探る試みである。

精神医学は精神障害の個人モデル(医学モデル)に強く結びついている。それゆえ個人モデルから社会モデルへの移行はポスト精神医学の重要な課題である。
しかしそれは一見するほど簡単ではない。
障害の社会モデルが構築されるに際して、インペアメント/ディスアビリティが分離され、身体障害をモデルに、前者は身体、後者は社会に振り分けられた。その上で、問題なのは個人の身体ではなく社会である、とするのが社会モデルの基本テーゼであった。
しかしこれを精神障害に推及するとき困難が生じる。
精神障害のインペアメントとは何か。精神の座を脳とする身体への還元主義が一つの回答である。脳の機能障害としてのインペアメントと社会的排除としてのディスアビリティという構図。
ここにはいくつかの問題がある。一つはこの還元主義には科学的裏付けが乏しいことだ。精神障害を脳の障害とするのは精神医学研究の作業仮説という域を出ない。また、還元主義に与することは精神医学、精神医療に包摂されることを意味する。たとえ治療を拒否できても障害者と認定されるために精神医学に依存することになる。そしてもう一つは精神障害に含まれる苦痛(distress)の側面だ。排除、抑圧、スティグマ化がなくなれば苦痛はなくなるのか。
ポスト精神医学を展望する場合、これらを踏まえて精神障害の社会モデルを描くことが必要である。
われわれは精神障害のインペアメントを再考する。インペアメントは社会的現象であるが、精神障害においてインペアメントとして現象するものとして、ニューロダイバーシティ(神経多様性)(注)とトラウマを挙げたい。
ニューロダイバーシティとは自閉症者から提起され、発達障害全般、精神障害の一部の当事者に支持されている概念である。ダイバーシティ、すなわち、人種やセクシュアリティ/ジェンダーと同じく、存在するのは定型発達、自閉症など様々なタイプであり、本来それらは対等である、と考える。単なる差異であるものが劣位にある何かとして、インペアメントとして社会的に現象するのだ。
一方、トラウマは苦痛と関連がある。苦痛には過去現在の重層化されたトラウマ体験が関与している。「子ども時代の有害な体験」(ACE)、その後の対人暴力、そして精神障害者として受ける差別と排除。
生物学的精神医学はむしろ、さらなるトラウマをもたらし、差別と排除を増幅する。

このような認識をもとに、われわれはポスト精神医学に向けた実践を構想する。TICがその基軸となる。
ただしやはり、問題なのは個人ではなく社会、である。
個人に強い影響を与える対人暴力によるトラウマ、その背景には圧倒的なパワーと支配がある。そしてそれは伝搬する。暴力の連鎖、トラウマの世代間伝達、歴史的トラウマなどの語はこの事情を指す。
それゆえ、社会的事象としてのトラウマがターゲットとなる。当然われわれの実践も医療の場で完結することはできない。そこを拠点として、TICを社会のあらゆる地点あらゆるレベルへ展開することが課題となるのだ。

倫理的配慮:
本研究は日本社会福祉学会の研究倫理指針を参照し、引用などについて、必要な倫理的配慮を行なっている。

注:
神経学的な差異が特定されていることを意味しない。「ニューロ」とはむしろ、他のダイバーシティとの種差を表示する接頭辞と捉えるべきであろう。

参考文献:
Pūras D. (2017). A/HRC/35/21