ポスター報告 7

髙木 美歩 (たかぎ みほ)
立命館大学大学院先端総合学術研究科

#報告題目

「カサンドラ症候群」概念にみる自閉症スペクトラム症候群概念の広がりとパートナーシップの医療化

#報告キーワード

自閉症スペクトラム症候群 / 医療化 / カサンドラ症候群

#報告要旨

 「カサンドラ症候群」とは,2000年に「アスペルガー症候群の影響を受けた成人の家族の会(Families of Adults Affected by Asperger’s Syndrome/以下FAAAS)」によって提唱された,自閉症スペクトラム症候群(以下ASD)の傾向をもつとされる人から,その家族(特に定型発達の女性の伴侶)が受けるネガティブな影響や,共感や感情的なサポートの欠如により機能不全となったパートナーシップ関係を指すための言葉である.
 カサンドラ症候群の命名は,ギリシャ神話に登場する,悲劇の女性預言者カサンドラに由来する.カサンドラはアポロン神と恋に落ち,その愛情の印として未来を予言する力を授かる.しかし,その予言能力によってアポロン神に見捨てられる運命を悟ったことからアポロン神の求愛を拒絶した結果,激怒したアポロン神によって誰も彼女の予言を信じないという呪いを付け加えられた.以降カサンドラはトロイの木馬などさまざまな災害を予知して人々に伝えようとするが誰一人として彼女を信じる者はいなかった.しかし,その後彼女の予言は常に真実であったことがわかる.
 カサンドラ症候群を名乗る人々は自身の人生をこの神話に重ね,ASD傾向のあるパートナーと暮らすなかで感じている困難や,その困難を外部の人々(たとえば自身の家族や医者などの専門家)に伝えようとしても伝えることができないという問題があることに対して,外部の人々が無理解であると主張する(AFFFS 2003).
 具体的には、その困難として精神的な寂しさを訴え,しばしばパートナーの共感や感情的なケアの不足が原因であると自己解釈する。
 だが,パートナーであるASD傾向のある成人は,比較的社会適応がよく就労もしており,職場などで問題を抱えていないか逆に有能な場合もある.カサンドラ症候群を名乗る人々は,カウンセラーや医師といった専門家が自身の訴えを単なる男性特有の気遣いのなさと見なして「みんなそんなもの」と説明することに対して,心理的なダメージを矮小化する対応であると解釈し,さらには傷つけられたと主張することもある(Aston 2003).
 カサンドラ症候群という命名には,カサンドラ症候群を名乗る人々が経験しているとされる困難な状況を,人々に伝達・共有できないことを問題の核と見なす姿勢が現れているといえよう.
 特に医学的な「症状」としては,睡眠障害,過食,うつ,社会問題(Social problems),不安,性欲の減退,気分の変調などが,支持する専門家によって示唆されている(Aston 2017).
 このカサンドラ症候群は,提唱当初,ASDの個人がパートナーを精神障害に追い込んだり,相互関係を悪化させたりすると非難するものであるとして,ASD支援者たちから批判された.そのことを提唱者たちは「誤解」(Simons & Thompson 2017)として受け止め,臨床カウンセラーであるマクシーン・アストンは,パートナー間のニーズの調整に関する問題として理解する方針をより明確に打ち出した概念に修正することを提言した(Simons & Thompson 2017).
 このように,カサンドラ症候群提唱者たちは,カサンドラ症候群という用語および概念の提唱はパートナーシップに起きているとされる関係上の問題の責任を,ASDであるとされる個人や,定型発達の個人のどちらか一方に帰属させるためのものではなく,問題のあるパートナーシップに対してASDの性質の影響の結果であるという視点から対応することで,相互理解と責任の外在化という利益がパートナーシップにもたらされると主張する(Aston 2001,Aston 2017など).だが,ある特定の状況を「症候群」として扱うことは多面的な帰結を生み出す.
 本報告では,提唱者たちの著作物における実際の文言や,カサンドラ症候群の状態として示された事例を取り上げ,医療化の観点から批判的に検討する.特に理論的前提・診断とその受容をめぐる問題・望ましい「治療」や「健康」のあり方などに着目し,提唱者たちがどのようにASDの性質をもつ人々が関係するディスコミュニケーションを特殊な事情として区別し,積極的に医療的の介入の対象にしようとしているかを明らかにする.そして,カサンドラ症候群の含意からディスコミュニケーションが起きた際,やはり「社会性の障害」をもつとされるASDの人々の責任が重く見られるなど,提唱者が主張する公平な運用が困難であるという問題について考えたい.

 なお,本報告は発表済みの学術論文・書籍を対象に分析を行うため,倫理規定には抵触しない.

【文献】
Rodman, Karen, E. ed., 2003, Asperger’s Syndrome and Adults…Is Anyone Listening?, London: Jessica Kingsley Publishers.
Aston, Maxin, [2001] 2014, The Other Half of Asperger Syndrome 2nd Edition, London: Jessica Kingsley Publishers.(=2016,黒川由美訳『アスペルガーのパートナーと暮らすあなたへ』スペクトラム出版社.)
――――,2003, Asperger in Love, London: Jessica Kingsley Publishers.(=2015,テーラー幸恵監訳『アスペルガーと愛――ASのパートナーと幸せに生きていくために』東京書籍.)
――――,2017, ” Affective Deprivation Disorder, ” Asperger Syndrome Consultations with Maxine Aston, Coventry, (Retrieved July 22, 2017, http://www.maxineaston.co.uk/cassandra/).
Simons, Harriet, F., and Jason, Thompson, R., 2009, “Affective Deprivation Disorder: Does it Constitute a Relational Disorder?, ” Coventry, (Retrieved July 22, 2017, http://www.maxineaston.co.uk/research/Affective%20Deprivation.pdf).