ポスター報告 31

長谷川 唯 (はせがわ ゆい)
立命館大学生存学研究センター 客員研究員
桐原 尚之 (きりはら なおゆき)
立命館大学大学院先端総合学術研究科 博士課程

#報告題目

医療専門職の専門性を問い返す――医療への期待と不安の繰り返しで生じる生存のゆらぎ

#報告キーワード

専門職 / 難病 / 役割

#報告要旨

 本報告は、医療専門職の専門性を、医療を必要とする障害当事者の視点から問い直すものである。これまで医療専門職の専門性は、患者の生死などの問題に直面し、役割を限定化する過程で専門性の領域を設定していくことで浮き上がってくるものとして捉えられてきた。専門職研究での従来の議論では、専門職を措定しようとする観点からの研究が多く、障害の視点から捉えなおす研究の枠組みは、いまだ十分に示し得ていない。疾病と障害の構造をめぐっては、リハ学と障害学で異なるコンセプトによって捉えられており、リハ学を支えてきた専門職それ自体への問いを向けていく必要がある。
 本報告では、難病など医療が必要な障害者が治らない病を治したいと渇望する状態をいかにして社会モデルが捉え位置付けるのかという関心のもと、従来の専門職研究の中で相互行為として両論併記されてきた内容を障害当事者側に焦点をあてて捉えかえすことを目的とする。
 国際ALS同盟(註1)は、特効薬の治療開発に力を注ぎ、国内でも難病政策における治療開発への期待は非常に大きい(註2)。例えば、ALSの治療開発では薬物療法に期待が寄せられている。充分に効果や副作用のデータが蓄積、整理されていない薬でも認可を熱望するまでに、患者の薬への期待は高い。しかし、患者によって効力に個人差があり、また効用がはっきりと示されないために、使い続けることに必死になっている現状がある。こうして患者は、新薬や症状の進行の抑制に効果があるなどの情報に、一喜一憂を繰り返している。だが、こうした薬や治療開発などの医療への期待が、患者の健康への期待を作り出していることも事実である。治すことへの期待は、いつかは治るはずという今を生きる原動や、自分の細胞や体を通して治療開発に貢献しているんだと自分の存在を肯定することにもつながっている。他方で、先が見えない医療は「もう治らないから」という諦めや不安を作り出す。患者は、医療への期待と不安の繰り返しの中で、生存への期待を高めたり、失望したりしているのである。
 そうした状況で、医療専門職は、自分たちの役割を限定しその都度その都度領域を確定させる試みを繰り返していく。たとえば、人工呼吸器を装着したALSの人に必要な医療的ケアは、その担い手を医療専門職以外にも許容することを通じて、医療専門職である自分たちと他の者との線引きを専門性という形で示してきた。だが、そこからは、医療専門職以外の介助者に医療的ケアを任せられるのは関係性への信頼が基盤とされているということが示された。事実、喀痰吸引等研修は、特定の者(患者)を対象として実施され、研修を受講した介助者なら誰にでも医療的ケアを提供することができるとはされていない。さらに研修を受講したからといって、介助者の医療的ケアを患者が受け入れるわけでもない。このことは、言い換えれば、看護師などの医療専門職がそうした関係性への信頼をパスして、その立場に与えられた資格への信頼だけで医療的ケアが患者に許容されていることの現れであるといえるのではないだろうか。
 これまでの医療専門職における専門性の議論においては、生死などの問題に直面している患者への支援という試みが持つ意味からそれらを捉えようとしてきた。そこでは、そうした緊張状態の中で、役割を限定し領域を設定していく過程で専門性が浮かび上がってくることが示されてきた。それゆえ、専門性は曖昧であり、緊張状態の中で繰り返し議論されるものとして、その本質が問われてきた。だが、ALSなどの難病の人たちから示されるのは、その人たちが抱えるゆらぎ――医療への期待と不安の繰り返しから生まれる生存に対するゆらぎが、医療専門職の専門性のあいまいさによって作られるということである。このことは、治らない病を治したいと渇望する人たちの葛藤を含みこんだ社会モデルを志向にする上で重要な課題である。
 なお、研究倫理・倫理的配慮については、所属研究機関等により指導を受けている。


1 患者、家族、医療者等で構成されるALSの世界組織。
2 難病の患者に対する医療等に関する法律には、調査研究の推進(第27条)が規定されている。なお、この法律は難病団体等の要請を契機に成立したものである。