takuya maeda - sociology
前田拓也(社会学)の研究 / 仕事 / 業績など
book reviews 書評
- 前田拓也, 20130610, 「ブックガイド | 玉垣努・熊篠慶彦編著『身体障害者の性活動』」
- (『障害学研究』9, pp.259-261.)
- [CiNii]
A5判並製
280頁
¥2,600+税
9784750338293
[版元] [amazon]
本文
(※以下は校正前の段階のものです)
「障害者と性」の問題がタブーだと考えている人などいまだにいるのだろうか。あるいは、障害者が性的な存在ではありえないなどと考えるひとなど、どれほどいるのだろうか。よくわからない。ただ少なくとも、そのことを批判することをマクラにして始まる本、議論、というのは、しかしいくらでもある。その意味では、障害者と性、あるいは、障害者におけるセクシュアリティというテーマは、すでにこれまで、散々語られ、論じられてきたものだ。だから、あえてタブーを犯すのだ、破壊するのだ、という触れ込みのもとで語られる本にはどこか既視感が伴うし、いまさら食指が動かないというのが正直なところかもしれない。
それでもやはりこの本をめくりながらため息とともに出てくる言葉はしかし、「いろんなひとがいるもんだなあ...」なのである。「性の多様性」と言われる。もちろん、そのすべてをカヴァーする本などありはしない。かといって、「障害者にだって性欲はあるし、セックスしたい」。いまさらになってそんなことを、ただ声高に訴えようと言うのでもない(言ってないわけではないけれど)。
岡原正幸が述べるように、この本が目指すのは、「身体障害者/セックスに関する常識的で支配的な定義」を問題化することだといい、次に、セックスは「楽しい、楽しんでいい、楽しむためにはコミュニケーションが必要、というシンプルな流れを打ち立てること」(p.8)。および、「パートナー同士が、互いに性的な快楽を求めてセックスするのであり、そのためにコミュニケーションする」(p.9)という「あたりまえ」を可能にすることだ。
このように書きだしてしまえばそれこそあたりまえのことでしかないのだが、それがなかなかあたりまえにはなれないこと。もちろん健常者だってそうなのだが、しかし障害者であればなおのことそうであるということなのだろう。
障害者の性を「赤裸々に」語る本はしばしば「リアル」だと評され、そしてたしかにこの本の帯には「リアリティあふれた渾身の書」とある。しかしわたしは、この本はリアリティにあふれているというよりも、ディテールにあふれている、と言ったほうがより正確なのではないかと思った。この本には、端的に障害者向けの「セックスのしかた」、ハウツーが書かれている。だからこの本の特徴的な部分はどこかといえば、それはおそらく、「実践的」——あるいはもっと身も蓋もなく「実用的」と言ったほうがよいのかもしれないが——なところにあるのだろうと思われる。それがどのように、そしてどれほど実践的であるのかそうでないのかは、評者にはよくわからないところがあるが、なんとかすこしだけでもその中身に分け入ってみよう。
本書の構成は大きく2章に分けられ、第1章ではおもに各「障害種別」ごとのニーズが作業療法士たちによって概説される。それぞれの障害像の特徴をある程度押さえたうえで、かれらがどのような不安を抱えているか、あるいはどのような満足を得たいと思っているか。あるいは、たとえばどのような「体位」をもちいれば身体への負担も少なく合理的に性交できるか。どのような器具があればより快楽を得ることができるかなどが解説される。つぎに、かれらの「性」を支援する側、すなわち、施設長、理学療法士、整復師といった人びとが語る支援の内実。そして、当事者による自身の性生活をめぐる語り。実に盛りだくさんだが、1つ1つの文章は長くないし重くもない。
第2章はいわゆる「発言集」といえばよいのだろうか、前章に比べてより混沌としてくる。しかしここで「QOエロ」という語が象徴的に用いられているように、身近な生活の充実を不可分なものとしての「エロ」を身も蓋もなく語っていこうという姿勢はやはり一貫している。当事者、支援者を問わず、自身の経験から身体障害者の性活動について具体的に語ることを志向しているだろう。
この本には、障害者本人のみならず、それを支える側の立場や視点も織込まれているところにも特徴があった。それゆえ、介助者をふくめた、サポートする他者との関係性のなかで考えることの重要性にもあらためて気づかされる。障害者のセクシュアリティが「タブー」でありうるのだとすれば、それはほかでもない、わたしたちの具体的なすぐそばにいる人と人の関係性のなかで、だろう。
この本が、今後どのような「場」を切り開くことになるのか。そして、その「場」の具体性のなかでこの本がどのように使われてゆくのかに興味があるし、そこではじめてこの本の「真価」が問われてゆくのだろう。肝心なのは、セクシュアリティをめぐる語りと、それらが語られる場、そして、ある場で語られることによってかたちづくられる人びとの関係性なのだから。
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