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前田拓也(社会学)の研究 / 仕事 / 業績など

book reviews 書評

前田拓也, 20110430, <書評> 新田勲編著『足文字は叫ぶ!——全身性重度障害者のいのちの保障を』
『障害学研究』7, pp.352-358.


A5判並製
404頁
¥3,150
978-4-750-33400-4
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本文
 本書の著者である新田勲氏の支援者として活動しているある男性が、こんなことを言っていたのを思い出す。「新田さんはどういう人かっていうとね、やっぱりもうコレは"新田勲"としか言いようがないんだよね。"職業=新田勲"みたいな。ひとつのジャンル?って言うか」。
 こうした語り口はたしかに時折見かけたりもするもので、だいたいはなにかを言っているようでいてなにも言っていないことがほとんどだったりするのだが、しかし、今度ばかりは、うーん、そういうもんですか、と素直に受け取って、フムフムと納得してしまうようなところがあった。それはやはり、この怒りに満ちた、そして、これまでの障害者運動を闘ってきた者ゆえの凄みを持ち合わせた1冊をすでに読んだあとだったからだということに疑問を差し挟む余地はない。
 この本はもともと、著者である新田氏自身の手による自費出版として、まずは500部だけ世に出たもの。そして、現在わたしたちの手元にあるのは、新たに再版されたものだ。ここ数年で、障害者運動の歴史を振り返り記述した本や文章を目にすることも増えたが、わたしは恥ずかしながらこの本を読むまで、新田勲という名前は知っていても、全国公的介護保障要求者組合のこと、やってきた中身についてはほとんどーー全国自立生活センター協議会編[2001]に載っていた原稿を除いてーー知らなかったと言っていいかもしれない。たとえば、障害者施設は「生きた人間を生でモルモットにしていく施設」であり、障害者の「生活の場」ではないと喝破した「あの」府中療育センター闘争の中心人物が彼であること。そして、そのかれらが1973年に東京都に作らせた「重度脳性麻痺者等介護人派遣事業」が、日本の障害者介護制度のはじまりだと言ってしまってもよいこと...。そうした、いわば「伝説の人」としてのみ「知られていた」と言えてしまうのかもしれない。
 彼の成し遂げてきたこと、今もやり続けていることの具体的な中身について少しずつ知りうるようになっていった実質的なきっかけは、深田耕一郎氏の書かれたもの。そして、この本である。だから、記録され、読まれ、後世に残されるというその意味において、まずはこの本の意義があるだろう。
 また、この本は、支援費制度の上限問題、そして、介護保険との支援費制度の統合問題、そして、障害者自立支援法の成立、といった「00年代半ば」という時代背景のなかで書かれたことは忘れるべきではない。そのことは、たとえば横塚晃一の『母よ!殺すな』に収められた文章が書かれた時代背景と具体的な事件たちを念頭に置かなければ、本当に「読む」ことができないのと同様である。
 こうしてこの本が再版されたのは、そもそも最初のバージョンが好評ですぐに売り切れてしまったことが関係していると言うし、それから考えればすでに何年もの時が過ぎている。いまこの評を読まれている本誌読者の多くは、すでに読まれたことだろう。書評もいくつか出ているはずだ。だからここからは、本の中身全体の概説に多くを割くことはなるべく避け、いくつかの論点に集中するかたちで見ていくことにしよう。

 この本は、怒りに満ちた、熱く、厚い本だが、しかし(だからこそ?)言われていることはとてもシンプルだし、論点もまた、明確である。そして、いまわたしたちが論じるべき論点は、すべてここに出尽くしているようにも思える。著者の主張をまとめると以下のようになるだろう。

・障害者の介護保障と介護保険との統合反対。
・障害者自立支援法(条件付き)廃止。
・事業所中心の介護派遣ではなく、当事者主体のパーソナル・アシスタンス/ダイレクト・ペイメント制度を。
・「措置から契約へ」として民間に介護保障を委ねることは根本的に誤りであること(市場原理の導入・当事者の自己負担・総予算抑制)。
・介護者の資格制度反対。
・「見守り介護」の必要性。

 ここですべての論点について吟味する紙幅はない。本稿で特に注目したいと思うのは、障害者と健全者、特に介護者との関係性をめぐる著者の主張の中身についてである。
 それは、今や主流となっていると言ってよいかもしれない自立生活センター(CIL)系の介護派遣方式への批判となってもしばしばあらわれているし、また、返す刀に健常者/介助者への批判ともなっている。現行の介護制度の元で自立生活を営み、彼の成し遂げてきたことの上に成り立っているJIL系のCILで介助者として活動をおこなってきたわたしもその恩恵を受け取っている一人である以上、この点について再度考えなおしておかねばならないだろう。まず、少し長くなるが、以下の一節からその主張のエッセンスを汲み取ることからはじめてみよう。

「全身性重度障害者の自立の介護については、黙っていても動かなくても事業所に介護人を派遣してくださいと行けば、わずかな手続きを取れば介護人は派遣されてきます。ここで言えば、家族から自立しても家族の身内の介護から、外の他人の介護に代わったに過ぎないのです。また、施設から自立しても、施設の職員から外の介護に代わったに過ぎないのです。極端に言うと、家族の中から施設に移ったに過ぎないのです。そういうところでは、介護者探しに苦労していないから、派遣されてきた介護者に対してありがたみも薄く、そこで自分の気に食わない介護者だったら、とっかえひっかえするのは当然なのです。派遣された介護者のほうも、時間給いくらという契約ですので、そこに介護に行って、その介護を契約どおりにこなして、時間通りに帰っていく、このような介護料と障害者の関係では、障害者の福祉に理解をもたせていくこと自体、不可能なのです。」(p173)

 なるほど、事業所方式に偏ってしまった現在の介護のありかたでは、たしかに障害者は「自分で」介護者を探す必要がさほどないと言えるかもしれないし、事業所に任せておけば「黙っていても」コーディネートしてくれもする。著者は、そうした現状への苛立ちを隠さないし、障害者、特に若い障害者にきわめて厳しい言葉を投げかける。だが、これらはやはり、良くも悪くもそうなのだという側面があることも見ておかねばならないと思う。つまり、ここで批判されていることがらは、「契約」関係を中心においた事業所方式の「よさ」でもあるという両義的な面があるからなおさらやっかいなのだ。横山晃久氏(HANDS世田谷事務局長)が著者との対談のなかでも一面では認めているように、自己主張の強い・弱いを問わず、どちらかといえば自己主張の苦手な人であってもなんとか介護者を見つけ、依頼することができるというその意味では、この方式はさほど間違っているとは思えない。そして、CILの人たちが、新田さんの指摘するような「危機感」をまったく持っていないかと言えば、必ずしもそうではないともわたしは思う。いまある制度の範囲内でやりくりしていくと同時に、その範囲自体を拡げていくこと。たしかに前者はうまくやれているところがあるとしても、しかし後者がどこかで頭打ちになっていることに苛立っているかのような言葉を、時折耳にすることはある。
 さらに確認しておくべきことは、介護を担う多くの健常者は、それまでの人生において、障害者と接する機会をまったくか、もしくはそれほど多くもたずに生きてきた人びとだということである。もし介護を担うことがなければ、障害者と決して出遭うこともなく生きていったかもしれない人びとでもある。健常者たちがかれらに出遭う「隙」はそう多くはない。だからこそ「介護を担うことによって出遭う」ことは、かつての障害者運動にとっても大きなモチーフであり続けてきたし、それは(良くも悪くも)今もまったく変わらないはずだ。
 介護というおこないには、だから「出遭う」こと、「つなぐ」ことに意義が見いだされる。まずはその意味において、介護の有償化は肯定される。有償化によって確保できる介助者の量は「出会い」の機会を確保することと同義であるとも言えるからだ。しかし、そこからが難しい。たしかに、お金があるからこそ、仕事として出遭うきっかけをもつことができる。そして、だからこそ躊躇なく立ち去ることができる。こうした両義性を前提にするからこそのダイレクト・ペイメント方式なのだ、という新田さんの主張を解するならば、それはとても納得のできるものだ。
 一旦自立生活をはじめた障害者たちは、おそらく一生自立生活を続けてゆくことになる。というか、障害者は障害者をやり続けていくしかない。一方、介助者はどんどん入ってきては入れ替わっていく。そうした、流動的に新陳代謝するかのようにやめていってしまう介助者からすれば、自分たちも運動の担い手であったという感覚もないままに通りすぎてしまうかもしれない。「健全者はいつでも逃げていけるという強い立場」(pp40)にあるという、彼我の非対称性を自覚する機会が削がれてしまうこともあるだろう。そうした事態への懸念は捨て去ることはできない。とはいえ、お金を介してであっても、出遭えただけまだよかった、とも言えるし、そうして出遭うなかでできあがっていく関係性だってあるはずだ。だからこそ、介護者と行政とのあいだで、障害者の頭越しにお金がやり取りされるのではなく、障害者自身のコントロール下に置いておくこと。障害者がその人を信頼し、介護を依頼し、それに見合った働きをするべく目を光らせているのだということ。それに応えるための働きであることを互いに自覚しあう。そのためのシステムとしてダイレクト・ペイメントという案は必要とされるだろう。

 健常者が障害者運動にかかわるということが、「自分が抜けたらこの障害者は死ぬかもしれない」という抜き差しならない関係であることが前提とされる時代は過ぎ去ったのだろうか。そして、それはよいことだったのだろうか。もしそうだとしても、しかしだからといって、いまわたしたちの立っている地点がそうした時代の延長線上にあるということが、忘れられてよいわけでもない。では、健常者が障害者運動にかかわるということの現在について考えるヒントを、過去から得ることはできるだろうか。
 わたしは、府中療育センターのハンスト闘争の記録のなかで、「介護につきもの」の「腰痛問題」こそが「障害者を左右する大きな問題」として議論されていた(pp22-24)という部分が現在のわたしたちにとって大きなヒントになると思った。腰痛は、まずは介護者本人にとって問題である、と同時に、そのことによって介護が受けられなくなる、あるいは、慣れた職員が異動させられてしまうという意味で、障害者にとっての問題ともなる。そこで、施設当局に対し、腰痛を労災として認めよという申し入れがなされ、その訴えを通して、腰痛を「障害者だけの問題ではなく、健常者だけの問題でもない、ともに考えていかなければならない問題」(pp24)として提起していったという。
 まず、介護という仕事にとっての職業病あるいは宿痾とでも言うべき「腰痛問題」が、普遍的な重みをもってすでに議論されていたこと。次に、「腰痛問題」が介護者ひとりで解決すべき「個人の問題」なのではなく、関係的、あるいは社会的問題として捉えられているということ。そして、この問題が、なにより介護者の「腰痛」という泥臭くも具体的な「痛み」から立ち上がっていることが決定的に重要であろう。「現実に自分は腰痛になって」いるのだから、その時点で「他人事ではなく、行政に交渉する際も心の底から自分の生身の怒りの発言が自然に出て」くる(pp30-31)。「福祉の問題」が「自分の問題」として考えられるようになること、つまり共感可能性が立ち上がる契機が、「身体の痛み」に見いだされていたのであり、これは、「現在とこれから」を考えるにあたって、何度でも立ち返るべき原点ないし礎であるとともに、いまを生きるわたしたちにとっても、大きなヒントを与え続けているに違いあるまい。


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